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ダミアン神父

銅像

ダミアン神父はカソリック教聖心会所属の聖職者。
19世紀のモロカイ島にあったハンセン病患者隔離地区で患者の救済に尽くし、
自らもハンセン病で命を落とした尊い人として、
ベルギー出身ではありますがハワイを代表する聖者とみなされ、
尊敬されています。その功績により、
2009年にはバチカンで最高位にあたる聖人に認定され、
現在は聖ダミアンとしても知られます。
ダミアン神父は1840年、ジョセフ・デ・ブーステルとして
ベルギーに生を受けました。19歳で神職に就き、
1864年、24歳で宣教師としてハワイへ。
ホノルル・ダウンタウンに現存するアワ・レディ・オブ・ピース大聖堂で
叙階を受け(聖職位に任命され)、
当初の9年間はハワイ島で布教に当たりました。
その後1873年に自ら志望して、モロカイ島カラウパパに赴任しています。
 
当時モロカイ島カラウパパには、
人々が寄りつかないハンセン病患者の居住区がありました。
今でこそハンセン病は治療可能ですが、当時はまだ死の病。
伝染病、しかも容貌が侵されて死んでいく病いとして、
人々の恐怖の対象だった時代でした。
カラウパパの居住区にはその頃700人が強制収用されていましたが、
病人を診る医者も看護婦もおらず、
船による他島からの食べ物の支給も最低限。
患者達は絶望の中、
ただ死ぬのを待つような状態だったと言っても過言ではありません。

ダミアン

宣教師グループの一員として、一度カラウパパ居住区を訪れた
ダミアン神父はそんな状況を見かね、自ら常住の宣教師に志願。
患者の傷の手当をしたり、
子供達のために学校を作り教会や住居を患者とともに建てるなど、
宣教師としての役割をはるかに超えたあらゆる分野で、
献身的に働きました。
死の病いに侵され世間から見捨てられた状態だった人々に、
ダミアン神父は再び希望と、人間としての尊厳を与えたわけです。

ダミアン神父はまた、患者を乗せた船がモロカイ島に
到着する際には必ず出向き、患者を出迎えたとか。
無理やりハンセン病患者の居住区に連れてこられた患者達の恐怖は、
ダミアン神父の存在によってどれほど和らいだことでしょう。
 
文字通り患者とともに生きたダミアン神父が、
やはりハンセン病にかかったのは1885年。
居住区に移住して12年後のことでした。
そして1889年、49歳で、短くも尊い人生を閉じています。
病床にある時、故郷のベルギーに戻って
治療を受ける案も提案されたそうですが、
ダミアン神父は最後までほかの患者達とともに
あることを希望したそうです。

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